「清水の次郎長」といえば幕末、東海はもとよりその暴れん坊ぶりで
全国にその名を轟かせた世紀の大親分。
20歳の頃から遊侠の世界に身を投じ喧嘩や博打に明け暮れた。
ここで次郎長の博才をひとつご紹介。
次郎長が15歳の時、江戸に出て一旗あげようと、家の金を持ち出し
その内の百五十両を、裏庭の木の根に埋め旅に出るが
すぐに三島の宿で捕まってしまった。
次郎長は百五十両も足りないことに怒った叔父・次郎八から勘当される。
そこで、次郎長は捕まることを計算し、埋めておいた金を持ち、
今度は東の江戸ではなく西の浜松に向かった。
時は天保飢饉、米の値段は連日高騰をつづけていた。
そこに目をつけた次郎長は、
父親の代理と名乗って米を買い付け米相場で大儲け。
大金を手に清水に戻った次郎長は、
金を返し勘当を許してもらったのであった。
ここに、状況判断と予測に長け、先見性を持つのちの大親分・
清水次郎長という人物の器が見えるのである。
勝負強かった次郎長にあやかろうと次郎長の子分、
「吉良の仁吉」や「森の石松」の墓石は全国から訪れたギャンブラーに
お守りとして今もけずりとられている。
仁吉の眠る源徳寺(愛知県吉良町横須賀)では墓石のかけらを
「かち勝石」として売っている。
【勝運度】
大親分に敬意を表して
★★★★☆
